東京高等裁判所 平成元年(ネ)142号 判決 1990年4月25日
昭和六三年(ネ)第四一九二号事件控訴人、平成元年(ネ)第一四二号事件被控訴人(以下単に控訴人という)
甲野一郎
右訴訟代理人弁護士
平山隆英
昭和六三年(ネ)第四一九二号事件被控訴人、平成元年(ネ)第一四二号事件控訴人(以下単に被控訴人という)
甲野二郎
右訴訟代理人弁護士
佐藤操
主文
一 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
二 被控訴人は控訴人に対し、原判決別紙物件目録一記載の各土地について、昭和一五年一二月三一日贈与を原因とする所有権移転登記手続きをせよ。
三 被控訴人の控訴を棄却する。
四 訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。
事実
(控訴の趣旨等)
一 控訴人(昭和六三年(ネ)第四一九二号事件)
1 主文第一項と同旨
2 (第一次的に)
主文第二項と同旨
(第二次的に)
被控訴人は控訴人に対し、原判決別紙物件目録一記載の各土地について、昭和一〇年六月二四日時効取得を原因とする所有権移転登記手続きをせよ。
(第三次的に)
被控訴人は控訴人に対し、原判決別紙物件目録一記載の各土地について、昭和一五年一二月三一日時効取得を原因とする所有権移転登記手続きをせよ。
(第四次的に)
被控訴人は控訴人に対し、原判決別紙物件目録一記載の各土地について、昭和四四年五月二〇日贈与を原因とする所有権移転登記手続きをせよ。
(第五次的に――当審において追加した予備的請求)
被控訴人が原判決別紙物件目録一記載の各土地について、別紙賃借権目録記載の賃借権を有することを確認する。
3 主文第四項と同旨
二 被控訴人(平成元年(ネ)第一四二号事件)
1 原判決中被控訴人敗訴部分を取り消す。
2 控訴人は被控訴人に対し、原判決別紙物件目録二記載の各建物を収去して、同目録一記載の各土地を明け渡せ。
3 訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。
(控訴の趣旨に対する答弁等)
控訴人、被控訴人とも相手方の控訴につき控訴棄却の判決を求め、被控訴人は控訴人が当審において追加した予備的請求(第五次的請求)につき請求棄却の判決を求めた。
(主張)
次に付加する他は、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決書八枚目表二行目の「承諾」の下に「し、かつ被控訴人が同社の社長に就任」を加える。
二 控訴人の第五次的請求の請求原因は、原判決書八枚目表一二行目から同裏六行目までの主張事実(本件各土地についての賃貸借契約の成立)と同じである。被控訴人はこの賃借権の存在を争っている。
被控訴人は、本件各土地についての賃貸借契約の成立を否認した。
(証拠)<省略>
理由
一本件各土地の所有権の帰属について
1 太郎が本件各土地を所有していたこと、同人が昭和一〇年六月二四日に死亡したことは当事老間に争いがない。そして、<証拠>によれば、被控訴人が右同日家督相続により本件各土地を含む太郎の財産を取得したことを認めることができる。
2 そこで、控訴人が本件各土地の所有権を取得したとの各主張について判断する。
<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。
「控訴人は、大正七年一月一七日、太郎と春の長男として生まれた。太郎と春はそれ以前から事実上の夫婦であった(いわゆる内縁の夫婦)が、たまたま春は乙川一夫と乙川夏子との間の一人娘(養女)で、戸籍上乙川一夫を戸主とする乙川家の推定家督相続人の地位にあったため、正式に太郎との婚姻届をすることができなかった。こうした事情があったため、控訴人は太郎と春両名の間の庶子として出生届がなされた。その後、太郎と春は控訴人を乙川一夫、夏子夫婦の養子とする手続きをとり、大正八年二月三日付で控訴人は乙川一夫、夏子の養子として戸籍の届出がなされた。その結果、太郎と春は正式に婚姻することができるようになり、大正九年一〇月三日に婚姻届が受理され、その後太郎は大正一〇年四月二三日に分家の届出をして戸主となった。
被控訴人は、大正一〇年三月三一日、太郎と春の二男として生まれたが、控訴人が乙川家の養子になっていたので、戸籍上は太郎と春両名の長男として届出がなされた。
このように、控訴人は、戸籍上は乙川家の養子となったが、これは太郎と春の婚姻届をするために形式を整えただけのことであったので、実際は控訴人も被控訴人も共に実の両親である太郎と春のもとで育てられ、控訴人はいずれは甲野家の跡取りとなる者として処遇されていた。ところが、控訴人の戸籍を甲野家に復する手続きがなされないまま、昭和一〇年六月二四日に太郎が急死したため、被控訴人が甲野家の家督を相続する結果となり、春は同年七月八日に被控訴人の家督相続の届出をした。
その後、同年一一月二日(または七月五日)になって、控訴人と乙川一夫との協議離縁(夏子はすでに死亡)の届出がなされ、控訴人は同年一二月二一日付けで、戸主となった被控訴人の兄として甲野家の戸籍に復籍した(離縁届が一一月二日になされたのか、七月五日になされたのかは、乙一号証と乙二号証とで違いがあり、確定できない。)。これに伴い戸籍の続柄の記載も、控訴人は太郎と春の長男、被控訴人は二男と訂正された。
昭和一四、五年頃になって(遅くとも昭和一五年末までに)控訴人は春の承諾を得て本件各土地の上に本件各建物を建ててこれを所有し、他人に賃貸するようになった。」
なお、<証拠>には、戸籍の訂正がなされた当時、控訴人も春も戸籍の訂正がなされただけで控訴人が甲野家の財産を相続することになるのかどうかよく分からなかったが、使用人に頼んで調べてもらったところ、戸籍上長男になっておればそれでいいと聞かされて、控訴人としては、自分が跡取りとして太郎の財産を相続したものと思っていたので、特に相続権の回復のための手続をとることはしなかった旨の供述がある。しかし、<証拠>によれば、太郎の所有であった本件各土地以外の不動産については、昭和二二年六月に被控訴人の相続による所有権移転登記がなされ、その後順次他に売却されるなど処分がなされているのに、控訴人と被控訴人の間の争いが表面化した昭和四四、五年頃までは、控訴人がこのことに特に苦情を述べた形跡もないことからすると、控訴人がはたして太郎の財産を相続したとまで考えていたかどうかは疑問が残り、右控訴人の供述をそのまま信用することはできない。
右に認定したように、控訴人は乙川家の養子になっていたとはいえ、これは太郎と春が正式に婚姻届するための方便であって、実際は太郎と春の両親のもとで跡取りとして育てられていたのに、控訴人の戸籍を元に復する手続きをしないうちに太郎が急死したために被控訴人が家督相続人となったことからすると、春としては気持ちのうえで控訴人に負い目を感じていたであろうことは推認に難くない。そうだとすると、控訴人が本件各土地上に本件各建物を建築することを承諾したのは、せめて本件各土地くらいは控訴人の自由にさせてやりたいという気持ちからであったことは十分考えられるところである。
このことに、<証拠>によれば、控訴人は太郎が死亡した後しばらくして学業をやめ、伯父の三郎と共に父太郎がやっていた事業(鉛筆の芯の製造業)を手伝うようになり、母春を助けて年下でまだ学生であった被控訴人の面倒をみていたこと、春は控訴人と被控訴人との争いか深刻化した後(両当事者間で調停事件が係属するようになった後)も本件各土地の所有権は控訴人にあるとの控訴人の言い分を支持してきたことがそれぞれ認められること、また、控訴人は昭和四六年に本件各土地につき被控訴人名義で相続の登記がなされるまでずっと本件各土地の固定資産税を支払ってきたと認められること、先に認定したように、被控訴人は本件各土地を除く太郎の不動産については昭和二二年に相続による所有権移転登記をしているのに、本件各土地については昭和四六年になってはじめて所有権移転登記をしていること(<証拠>)、本件に現れた証拠を検討しても被控訴人が控訴人との紛争が表面化し始めた昭和四四、五年頃までは本件各土地について所有権を主張していた形跡がないことを総合すれば、控訴人は本件各土地上に本件各建物を建築する際に被控訴人の親権者であった春から本件各土地の贈与を受けたものと認めるのが相当である。
この点に関し、<証拠>によれば、控訴人は被控訴人に対して昭和四九年以来本件各土地の賃料を毎月供託し続けていることが認められるけれども、同時に<証拠>によれば、これは昭和四六、七年頃から控訴人と被控訴人との間で本件各土地についての所有権をめぐる争いが深刻になり、被控訴人が賃料の支払いを求めるなど強い態度に出たこともあって、控訴人としては所有権に関する主張が容れられない場合に備えてしたもの、つまり万一の場合に備えて権利を確保するための歯止めともいうべき対応であって、控訴人が所有権を有しないことを前提としてしたものではないと認められるから、右認定の妨げとなるものではない。また、<証拠>も、全体からみれば控訴人が本件各土地の所有権が被控訴人のものであることを前提としたものとはいえず、これも右認定の妨げになるものとはいえない。
以上の点に関して、被控訴人は原審及び当審における本人尋問において、控訴人は本件各土地の所有者ではないとの供述を繰り返している。もともと昭和一〇年代という古い時期の事実関係が問題とされ、それも親族間の争いであるため、契約書等の客観的証拠を期待できない本件にあっては、控訴人と被控訴人の供述の信用性が事実認定に重要な影響をもつので、ここで当裁判所の判断を示しておくのが適当であろう。結論を先に示せば、いずれも全面的に信用するわけにはいかないとはいえ、被控訴人の供述により疑問が多く、信用性に乏しい。まず、同人の原審及び当審での供述は、肝心な点になると、まともに答えていないふしがある。例えば、被控訴人が他の不動産については昭和二二年六月に相続登記をしているのに、本件各土地につき、なぜ昭和四六年になるまで被控訴人の相続登記がなされないまま放置されていたのかは、控訴人と被控訴人が本件各土地所有権の帰属についてどう考えていたのかを知る間接的な事情として、また両当事者間で争いが深刻化した時期とも関連して、重要な点である。それなのに、被控訴人は裁判官の質問にも、控訴人の訴訟代理人の質問にも、納得のいく答えをしていない。控訴人がいつから本件各土地について所有権を主張するようになったかとの質問にも、覚えがないという。一番の争点なのに、いかにも納得しにくい。さらに、当審における和解の経過も、被控訴人はかつて提案した解決案を示されたのにこれすら受け入れないという経過をたどったことは当裁判所に顕著である(被控訴人は当審における本人尋問でこのことは認めている)。このことも、被控訴人の供述の信用性を検討するにあたって無視できない事情といえる。
二以上判断したとおり、控訴人は遅くとも昭和一五年末までには本件各土地の贈与を受けたものと認められるのであるから、その余の点につき判断するまでもなく、控訴人の第一次的請求を理由があるものとして認容すべきであり、また、被控訴人の請求は理由がないものとして棄却すべきものである。
なお、昭和二二年改正前の民法八八六条、八八七条の規定によれば、親権者である母が子の不動産を処分する場合には、親族会の同意を要し、これに反する行為は取り消しうるものとされていたところ、前記認定の贈与に当たって親族会の同意があったかどうかについてはいずれの当事者からの主張も立証もない。しかし、日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律施行前に右改正前の民法八八六条に違反してした行為であっても、改正後の民法のもとにあっては、これを取り消すことはできない(昭和二二年法律第二二二号による民法改正附則第一五条)。また、本件では証拠上それ以前に当事者間で紛争があった形跡は全く認められない。したがって、前記認定の贈与の効力を是認するうえで親族会の同意の有無を問題にする余地はなく、被控訴人に釈明を求めて主張、立証の機会を与える必要もない。念のため付け加えておく。
三よって、控訴人の控訴は理由があるものとして、原判決中控訴人の請求をすべて棄却した部分を取り消して、控訴人の第一次的請求を認容することとし、また、原判決中被控訴人の請求を棄却した部分は、当裁判所の判断と理由は異にするが、結論においては相当であるので、被控訴人の控訴は理由がないものとしてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官上谷清 裁判官小林亘 裁判官小野剛は転任のため署名捺印できない。裁判長裁判官上谷清)
別紙<省略>